☆割と知らない人がいると思ったのでご紹介
これは2008年5月のgoogle本社の様子である。
Webブラウザでストリートビューを表示し、左上の日付から、過去のアーカイブが存在していれば、選択して表示する事が可能だ。10年経過し、歩道の位置が変化している事が確認できる。
☆インターネット思い出散歩
ストリートビューのアーカイブや、waybackmachineを使うと、一昔前のWeb上のアーカイブに触れる事ができる。
存在しない社名の入った建造物のストリートビューの画像や、過去のWebページなどが閲覧でき、懐かしむ事ができる。
現在は一昔前のデータでしかないのだけれど、今後はこういったアーカイブデータが残り続ける事となるのだろう。
100年後、連綿とWebアーカイブが蓄積されたとしたら、ストレージ容量はとんでもないサイズになっていそうだ。
☆思い出の在処
これまでの100年程度であれば、Webアーカイブは無いにせよ、社会情勢やら大きな出来事は、割と詳細に残ってはいる。僕らが生まれる前の記録だ。
しかしながら、そこに「思い出」を感じる事はできない。その時代に僕が生きていなければ、どれだけ情報が残っていたとしても、受容体たる自己が無ければ「思い出」足り得ない。
つまり「他人の思い出」はアーカイブできない。
「他人の思い出」というのは、実は面白いアイデアでもあるように思う。VRの次にやってくる刺激的なテックとしては、他人の思考を脳に取り込む事なのだ。
美術館の展示会で、有料の音声ガイド端末などを見かける事があるけれど、仮に製作者の思考を脳に取り込みながらの美術鑑賞ができれば、比べ物にならない没入感を体験できるでしょう。
他人の思考をインクルードする行為は、エンタメ的好奇心をくすぐる要素ですが、それだけでなく世界平和に寄与する可能性もあるようにも思うのです。
☆AIとは別のシンギュラリティの未来
「他人の思い出」をアーカイブできないという現実は、実は人類にとっての命題であるのかもしれない。
もうしばらくすれば、紛争地帯を除き、大半の人間が「戦争」を知らない世界がやってきます。戦争の悲惨さを伝えようと、メディアや個人や団体が活動していたりしますけれど、「他人の思い出」はアーカイブできませんから、徒労に終わる可能性があります。
「歴史は繰り返す」なんていいますけれど、負の歴史を繰り返さないためにも、「他人の思い出アーカイブ」は、人類の次のステップに必要なシンギュラリティなのかもしれません。
AIによる幸せなディストピアという未来と、他人と思考を共有する未来。さて、どちらが人類にとって幸せなのでしょうか。