†でおきしブログ†

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ゲーマーなら労働という縛りを超えるべきなのだろう

「人生は無理ゲー」

2chSNSでみかけるワードである。それは人生というゲームへの敗北表明である。
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☆TVゲーマー

最近、ゲーマー育成専門学校なんてものがある。
日本国内においてTVゲームプレイヤーへの社会的地位はあまりメジャーではない中、随分とチャレンジな学校経営であると感じる。

まぁ、日本国内の社会通念などを気にかけていれば、ジリ貧で死ぬ人生しかないわけで、そこにロマンなど望むべくもない。

チャレンジは面白い事であり、それはリスペクトすべきである。

☆人生の何が困難で何が幸福か

ところで、人生において最も困難と感じている事はなんだろうか?

私にとっての困難とは「労働を不要とするほどのマネー」を手に入れる事である。
もちろん「マネー」の価値など一定でないわけだが、現状において最も信頼たる価値がマネーである。

そして好きな事をして死ぬ。それが私にとっての理想だ。


逆にこの論理でいえば、労働が好きな方は既に救われている。
貧乏人は労働を愛せ。

☆さて本題である

ゲーマーだと表明するのであれば、まずはクソだるい労働から己を解放した後に名乗るべきだろう。
そうすればゲーマーへの評価は上がる。間違いなく上がる。

不安定な社会情勢の中、マネーに困る事の無い状況を作り出せたのであれば、ゲーマーに限らずいくらでも自己価値を社会にアピールする事ができる。



「人生は無理ゲー」
そう感じているのであれば、ゲーマーではない。