☆社会人1年目
社会人になって最初の職場は、大赤字のプロジェクトに猫の手として、一個上の先輩と投入された。そこそこ大きな事業部に所属していたが、その赤字プロジェクトには事業部長が出張っていた。リーダーが役に立たたないからだ。そのような状況の割に、リーダーはふんぞり返っており、まるで危機感がなかった。早く解放してもらいたいビジネスパートナー達や、別案件に逃げたいプロパーのジジイとババアがギャーギャー言ってる現場だった。
クソみたいな現場だったが、面白い人も居た。ビジネスパートナーの一人のギークなオジサンと、チャラいお兄ちゃん二人と、会社を辞めて個人事業主になるのが流行っていたようで、鼻息のあらい意識高く香ばしい元先輩社員とか見ていて楽しかった。
3か月ほどして、7割強のビジネスパートナーが解放されたが、赤字は解放されず、残った僕らは残務整理を年末まで行った。
ようやくクソプロジェクトから解放される事となった僕は、お正月休みとなり、次はどんなお仕事になるのだろうか?とワクワクしていていたのだけれど、翌年から僕は県外に飛ばされ、事業部長は部長を解任された。
結局赤字のまま収束したプロジェクト。誰のためのプロジェクトだったのだろうか。社員や外注は日銭を稼ぎ、お客様とは埋められない溝ができた。
しかしながら、今となっては良い思い出でもある。
☆その後、いろいろあった
県外でのお仕事。
転職。
お仕事。
転職。
それぞれ大変な時期があったのだけれど、「あの頃よりは良かったなぁ」という負の思い出が、僕の最後のモチベーションであった。
そういった事を続けていると、僕は楽して生きていきたいと願うようになったが、楽をするための活動や方法を模索せずに過ごした結果が今である。
そして、今の仕事もなかなかにしんどい。
仕事の辛さの度合いは1次元ではない。多次元ベクトルであり、ミックスされているので、「この辛さは初めてだなぁ」と感じたりする。過去の経験から、突破口を探そうと似たような経験や感情を類推するも、なんと該当しない場合がある。割と今がソレだ。
ある人はこれをチャンスと呼ぶ。
その先に何があるのか?
何もなかったら、誰か保障してくれるのか?
誰も保障はしてくれない。
チャンスと諭す人間はその時点での利害関係者だけであり、あらゆるものが自己責任だ。
情けないなぁ。なんで嫌な仕事を続けないと生きていけないのだろう。
情けない。長くサラリーマンやってても、未だに辛い。
もはや恥も無い。助けてくれ。
☆世の中は良くできていると思う
なかなか金持ちに成れないように、累進課税とかで世の中はバランスを取ってるし、資本主義社会で、雇われのサラリーマンが金持ちになれる事はほぼ無い。かといって、経営者が金持ちでいられるかというと、それも難しい。
やる気と運と、相対的に他人と違うものを提供できる人間が金持ちになれる。(かもしれない)
というバランス。
よくできている。
救済は己の中に。