†でおきしブログ†

ウナギ食べたいヽ(•̀ω•́ )ゝ✧

言い訳の必要性

☆残るものには理由がある

ネガティブに捉えられがちな「言い訳」は、淘汰されず残り続けているのは何故なのだろうか?と、思った次第です。残っている理由、つまり必要性について探ってみた。

☆言い訳しても結果は変わらない

当たり前だけれど、物事の結果は変わらない。結果に納得ができないのであれば、何がしかの改善の上、もう一度トライすれば良い事は自明であるものの、それを許さない状況の場合に言い訳をするのだろうか。

☆誰のためにするのか

大抵の場合、言い訳をする人自身のためにしているように思われる。何かしら自分に非がある場合に、できるだけ情状酌量を最大化するために話術でなんとかしようとする最終手段である。

なお、他人の言い訳を聞きたい人はとんだサディストであろう。
「言い訳もできないのかね?」みたいな人がたまにいるけれど、これは優位なポジションを実感したいだけの変態野郎であり、建設的ではない。そういったプレイの場合には必要なコミュニケーションかもしれないけれど。

☆人間以外に言い訳を行う動物がいるだろうか

いないように思われる。そんな複雑なコミュニケーションが人間以外に行えるとは思えないし、何より必要性を感じない。彼らはもっとシンプルに生きていると推察する。

動物と比べたら人間のコミュニケーションが高度で複雑な事は当たり前なのだろうけれど、そうであれば、言い訳などせずに建設的な行動で溢れた社会で良いのではないかと思うのだ。それでも言い訳というものは日常的に存在する。何故だろう。

☆言い訳はルールと共に

集団生活においてルールは大事である。ルール無くしては無法地帯であり、安心して暮らす事ができないためだ。
安心した生活のために人々はルールを創り、複雑怪奇な人間の欲望を抑制するためのルールが追加され続け、いつしかルールに沿って生活を余儀なくされたのである。

ルールは絶対!(そろそろルールがゲシュタルト崩壊してきそう)

絶対的ルールにおいて、それらを逸脱してしまった場合には誰しもが説明責任が求められます。老人も成人も子供も分け隔てなく。この説明というものが、時として「言い訳」と呼ばれるのでは無いかと思うのです。だから言い訳は必要と言えば必要なのでしょう。

☆蛇足

以上、つらつら書いてきた内容に従うと、ルールの無いコミュニティーには言い訳は存在しないとなる訳ですが、動物達も集団生活をしているのだから何かしらルールがありそうに思えてきます。もしかしたら彼らも言い訳をする事があるのだろうか。

くらべる図鑑 (小学館の図鑑 NEO+ぷらす)

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