こんばんわ。
deokisiです。
今回は「て」
- 「手紙」
○はじめに
Eメールが登場した当時、親に契約してもらったPHSでいくら頑張ってもEメールが使えなかった懐かしい思い出が蘇ります。
わかんなかったらヤフれば良かったなぁと今なら思いますが、当時まだggrksが定着しておらず僕も調べっ子を開花させていない時期でした。
遠方の人とのコミュニケーションは電話代が高いという事もあり、手紙が主に利用されていたように思います。
今日は、そんなポケベルが低迷しPHSの黎明期であった20世紀末頃のお話です。
==============================================
○上京した少年
大学進学のため、はるばる上京した少年。
ワクワクドキドキ大学デビューを目論む人付き合いの苦手な少年だった。
入学式の前日、両親と一緒に大学の寮と近くの繁華街を巡って時間は14時を回っていた。
両親と別れ、再び大学の寮に向かうため市バスに乗って発車した時、両親が手を振っているのが見えた。
少年は不思議と涙を流していた。
18年間育った環境から誰も知り合いのいない見知らぬ町のバスに揺られる事と、バスのすぐ外で両親が手を振っている姿から、思いもよらず郷愁を感じてしまい一気に感極まったようだ。
涙ってのはドラマティックな盛り上げとか無しに、突然こみ上げてくるものだったりする。
大学の寮までバス停から徒歩5分程度。
寮は大学の敷地内に存在していた。
トボトボ歩いていくと、春休み中の大学内は不気味なほど静かだった。
大学の寮は、室内まで土足というアメリカンスタイル&相部屋というハードな環境だった。
もちろん男子寮だ。
しかも共同トイレに共同炊事場に共同浴場で、プライバシーを維持するのがなかなか難しかった。
相部屋の少年は前日から生活を始めていたようで、1日先輩だった。
群馬からやって来たという。
※彼の事を仮にグンマー君としよう。
グンマー君はなかなか心を開いてくれなくて、4年間かけても常に壁を感じていた。
だけれど、今思うととても大人びて冷静で、頼もしかった。
今は地元で1児のパパになっている。
劣悪極まる環境ながら、唯一救いなのはルームメイトに恵まれた事だった。
:
:
住めば都とは良くいったもので、3ヶ月もすれば授業にも寮生活にも慣れ、友達もできてそこそこ楽しく生活を送っていた。
(実は大学の授業をあまり理解できていなくて、夏休み明けの前期試験の結果にひどく落ち込む事になる・・)
この頃の少年にとっては東京はあくまで大学に通うための町であり、卒業後は地元に戻る事を常に考えていた。
不思議なもので、同様に地元に帰りたいと思っている者は周りにも多かった。
授業が終わって部屋の扉をあけると、床に紙?が落ちていた。
・・・紙じゃなくて手紙だった。
寮の部屋に郵便受けは付いているが、投函物は容赦なく床に叩きつけられる仕様だ。
手紙とかチラシとかであれば、床の上をすいーっと滑って、勢いがあれば部屋の奥まで届いてしまうw
地元の友達から手紙が来ていた。
内容はどうしようもないぐらい、くだらない内容なので負けじとくだらない内容で返事を書いた。
手紙が届いた事がとても嬉しかった。
最近ではこうゆう気持ちはそうそう感じなくなってしまったのだけれど、あの劣悪な寮で知らない町での生活が手紙というイベントをさらに盛り上げてくれたのだろうと感じます。