大学生の頃、原チャリが欲しいので、雑踏警備のバイトを始めました
雑踏警備とは、
道路工事の側で赤い棒を振っている人間が行なっている事
私は下水道工事に伴う通行止め(ただし通行止めの通りの住民は通す)を行なっていました
通行止めの立て看板の前に突っ立っていました
雨でも晴れでも関係なく同じことをします
基本的には暇な仕事でした
交通量の少ない通りでしたから、バイト的には楽チンでした
車が来ない暇な時間、立ち尽くした私には時給が発生しており、仕事とは何だろうか?といったことを少し考たような気がします。暇すぎたので。
唯一の楽しみは近くのセブン・イレブンで購入する『のり弁』でした。
それ以外は特に楽しみのない仕事でした。
ある日、セブン・イレブンの『のり弁』が品切れになっていたので、のり弁だけが私の幸せである旨を店員に伝えた所、翌日以降は『のり弁』が以前より増えました。
とりあえず時給換算で、あと何日この仕事をすれば原チャリが買えるなぁと指折りかぞえていました。
業務の存在価値や意図など関係ありません。
私はその時、『原チャリ』が欲しかっただけの学生でした。
ある日、割り込みの仕事が入って来ました。
夜勤です。
具体的には相模原の国道16号の整備に伴う警備業務のアルバイトヘルパーです。
通称、『16号維持』と呼称されていました。
相模原の『16号維持』警備をやっていた私
道路のアスファルトを引っぺがしながらアッツアツの出来立てアスファルトを塗りたくる作業員の人命を警備するのが私の仕事でしたが、今思えば死亡保険にも入っていなかったように思うので、仮に死んだ時にどのような補償がされていたかは不明です。
カラーコーンを積んだ黄色い車に乗り込み、16号線に入った私達は、施工開始位置でおもむろに車から降りてカラーコーンを立てつつ、赤い棒を振り、『俺たちをはねるんじゃねーゾ!』とアッピールします。
終始アッピールし続けます。
これが仕事です。
この仕事をやっている時はとても寒い季節でした。
数メートル横をかっ飛ばしてくる車の側で、めっちゃ厚着をしつつ棒を振り続けていましたが、それでも寒かった時期でした。
寒すぎるので、余裕がある時は海外製のアスファルト製造特殊車両のそばで暖を取っていました。アスファルト臭くてもあったかいわけです。
あったけ〜。
国道沿いを移動しながらの作業であるため、おしっこをする場所なんて用意していないため、どこでやるか?
ごにょごにょ
長らく続けた後、休憩という事で、交代で近くの吉野家で食事を取ることに。
↑
イメージ写真です。
とても美味しかったです。
吉野家を後にした私はゆったりと16号線の道路のど真ん中に戻った所、カラーコーンが撤去されていて、作業員もいなくなっていたため、車が私の方に突っ込んできました。
やばい状況である事に気付き、歩道に逃げたので何もなかったのですが、維持対象の16号線の上り降りの路線変更が、吉野家で食事を取っている時に切り替わったようでした。
そんなのは知らなかったわけですけれど、世の中情報戦ですね。
情報を知らなければ場合によっては死んでいます。
とにかく寒いし眠い中で続けた16号維持の後、ヘトヘトで明け方に家に着いた時、
木造の八王子のオンボロアパートでしたけれど
とんでもない安らぎがそこにはありました。
シャワーを浴びてお布団で寝る
屋根がある環境で行う仕事を生業にしたいものですねと、その時思いました。
蛇足
ちなみに通行止めの暇なバイト中もいくつかエピソードがあります
- 外人さんのドライバーが話しかけてくる
- 迂回して欲しい事を英語っぽく伝えたけど、こいつはまともに喋れないなといったリアクションだったので、英語は伝わらなかった事を認識
- 通行止め看板の両サイドに空間を埋めるために立てていたカラーコーンを蹴り飛ばすチャリンコのお兄ちゃんに遭遇
- 腹がたったので、「俺、やっちゃっていいすか?いいっすか!?」と社長に携帯で連絡。いやいや辞めとけと言われました。言われなければやっていたかもしれない。ついでに110番にかけて、このような場合の対処方法について質問したりしていました。暇だったので。
- なぜそのように私が憤慨していたのかといいますと、突っ立っているだけで時給が発生していた学生の私でしたが、立て看板とカラーコーンの準備をしたのは私でしたので、突然理由もなく蹴り飛ばされた事に憤慨していたのです。今の私なら、「ナイスシュー!!!」と言うかもしれません。
- 学生寮の頃の同級生が車に乗っていた所に遭遇
- 車借りたんだ!と言いながらどこかに向かっている所で楽しそうだった。今は元気にしてんのかなぁ。
- 『のり弁』を食べていた空き地でゲートボールしていた老人達
- ゲートボールをしている老人達を眺めながら『のり弁』を食べていた私。一人の老人が何かを落としたので声をかけた所、キョドッていたので、老人以外の人間と話すのが苦手なのか、私が異質に見えたのかもしれない。