†でおきしブログ†

ウナギ食べたいヽ(•̀ω•́ )ゝ✧

「楽しさ」には2種類ある

人生100年時代。大半の人間が何者にもなれず死んでいく中で、それでも「楽しく生きていきたい!」というトレンドが昨今蔓延しているように思う。


stand aloneの有象無象が「楽しさ」に関する独自哲学を持ち、頭の良い詐欺師は有象無象をだまくらかす地獄。詐欺師が存在できているのは、需要があるが掴みどころのないサムシングが存在している証左である。

詐欺師に騙されたくない僕は、「であれば、有象無象の求めている何某をつまびらかにする事に興味がある」と思うわけだ。


僕はここ10年ほど、「楽しさ」について考えていた。
自己と他人の感じる「楽しさ」の乖離。乖離するデータサンプル集めという観点では、自己の「楽しさ」をSNSに投稿する事で、その反応からある程度は観測が容易となった。

乖離しつつも、人間には「楽しさ」に共通するファクターがあるように感じる。何故InstagramTikTokが流行ったのか?対照的に陰キャが集まりそうな「はてなブックマーク」。それぞれのミームの中に「楽しさ」のヒントを探る事ができる。

☆つまりはこういう事だ

ビジュアルで感情を高ぶらせたり性的興奮を覚えるチンパンジー的楽しみと、紅茶を飲みながら悦に浸るファビュラスな楽しみ又は陰キャ的楽しみである。

ファビュラスと陰キャ紙一重のように感じている。いずれも内在する何某かとの対話を行う探究者である。

陽キャ

知性的な楽しみの探究が苦手な者は、楽なチンパンジー的楽しみに流される。
「上手くできたら、理解できたら楽しい!」という分かりやすいタイプであり、凡人であり快楽主義であり勝利主義であり迎合的である。

陰キャ

一見すると理解できないコンテンツに面白味を見出すマジシャン。陽キャ型に比べ、バラエティに富んだ人間味のあるパーソナリティの源泉である。

☆陽と陰の比率

誰しもが陽と陰をそれぞれ持っており、バランスは異なる。ゆえに振れ幅という意味では、色んな人間が居て面白い。

どちらが悪いとか良いとかっていう事も無い。

☆結論

陽キャ陰キャも面白い。

しかしながらヒトリで家にいても、他人の醸し出す「面白さ」に触れる事は叶わない。

誰しもが本当は他人と触れ合いたいと思っている。


問題は、触れ合うインフラが乏しいor見つけ辛い点である。それぞれが努力や幸運により出合う事ができる。


「楽しさ」は一様ではなく複雑怪奇であり、「楽しさ」に出合うための、あるべきインフラが求められている事は自明であるが、それを用意できる好事家はまだまだ少ないように思う。

このあたりはブルーオーシャンだと思う。だってリスキーだからね。
皆手を出さずにいるんだよね。


手を出した人間の大半が廃業している。
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