†でおきしブログ†

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死にゆくジジイになった貴方へ

掲題の件ですが、

死ぬ間際のジジイの貴方が「はてなブログ」を参照できているという事は、
はてなブログが続いているのか、別サービスに移行したのか、
もしくはwaybackmachineみたいなアーカイブスで閲覧しているのかわかりませんが、
仕事で疲れ果てたアラフォーのおいらから伝えたい駄文です。


2018年3月24日
日曜日

花粉が飛びまくってます
貴方が生きている頃も花粉が飛んでいる事でしょう


東京オリンピック間際の昨今、東京都も、国会も(モリカケ問題とか)まともに働いているかわからない状況です。

GDPはずいぶん前に中国に抜かれていますが、貴方の時代では日本はGDP何位でしょうか?
アジアの僻地で人口減の中、よろしくやってるんでしょうか?
年金はまだ続いているのでしょうか?


おそらく貴方は結婚していないでしょう。
それは本エントリーを書いている私の思想がシーケンシャルに続いた結果だと思われます。


家族はすべからく他人です。
他人を意のままにする事はできません。
思い通りにしようとするのであれば、それはDV(ドメスティックバイオレンス)です。

「隣人にも、隣人の子供にも優しくせよ」
であるならば、目に見えない劣性遺伝子を継承した子供もまた、他人であり隣人である。


貴方の子供である必要はなく、世の中の子供や大人は、人間というスコープで捉えれば、
自身との共同体であり、そこにプロプライエタリ感も存在しないのです。
誰も特別ではない。
特別とするのは貴方の思考である。


何か遺せたか?
それは価値観です。
「遺せた」と思えれば、いつだって僕らは遺しています。


死んだ後は、何も残りません。
何も思考できません。


無です。


それまでに選択した事の善悪も超えて、誰しもが無となります。
であれば、生前生きている中で、できるだけトレンドに楽しく生きたいと思うのが、人間の欲だと思うのですけれど、エゴイズムはどこまでいっても満足する事はできません。


死ぬ間際のジジイたる貴方なら理解できるはずです。
もはや全てが味わい深いものであったのであると。


薄れゆく記憶の中で、どうか安らかな死であらんことを祈るばかりです。
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