森友問題の財務省による決裁文書改変の件。
「こんなデタラメが許されてたまるか!」と、笑い男のような正義感を感じる一方で、諦めも感じている。
この問題に無関心な人間が多いのは、その先に至る結論は自明であると確信しているからであろう。
超少子高齢化の折、ジジババが強い日本。
そして旧態依然とした古い文化。それを受け継ぐ若者もまたジジババとなる。
首相が変わろうが、政権与党が変わろうが、
誰も幸せにならないし、世の中が良くなる事もない。
先細りで、これまでのシステムは維持できない。少なくとも、これまでの価値観でいう所の幸せが戻ってくることは今のままでは不可能であろう。
国レベルで価値観が変わらない限り、日本が良くなる事は決して無いだろうけれど、民主主義を維持したまま、これを成す事は、ほぼ不可能だと思う。
情報過多の昨今、多数を納得させる回答など、誰も持ち合わせてはいない。森友問題は民主義国家だからこそ問題として生じている。
さも「してやったり」という感じでメディアは報道しているが、「で、その先どうなるの?」という感想である。
森友問題がどういう結末で決着するかわからないが、これまでの混沌とした時世から、どうせ痛快なシナリオにはならず、ごくごく地味な終焉を迎えるに決まっている。実にくだらない。
元も子もないが、清廉潔白でいたら国が良くなるというわけでもない。新元号を迎えた後も、きっと僕らは嘘にまみれた日本でこの先も生きていく。
ゆるやかに先細っていく日本にとって、森友問題なんて些末な事である。