宝くじとかあり得ん確率でしか当たらない。
買うだけ無駄。
しかし実際に当たった人間がおり。
その人間が宝くじを購入したという事実。
揺るがぬ事実。蛮勇と称しても良いだろう。
その蛮勇が購入しなければ当たる事もなかったわけだ。
宝くじが当たる事も物語が始まる事も同義である。
どこかで誰かと出会い、話す事で僕らの物語は始まる
大抵の場合、己が妄想の中で他人を計るため、表面上の会話と内的意識の祖語は絶大である。ゆえに、新規の他人様とエキサイティングな繋がりに至る事はとても難しくなっていく。それは加齢とともに如実である。誰しもが若い肢体と幼い感受性に触れたいのだ。
わかる
わかるが、こういった議論は「宝くじを買うか買わないか」と大して変わらない。もし貴方が「わかる」側の人間で、抽選券を未購入であれば、貴方は臆病者だ。抽選券の購入すらしていないのに、議論に加わろうとしている貴方はフニャチン野郎だ。
まずは「抽選券を購入する」のだ。
世の中には投資を迷う案件は多く存在するが、抽選券の購入については、経済的に無理のない範囲であれば蛮勇であれ。
僕らはいずれに死に絶える。
大統一理論や宇宙の構造、凄まじくズームアップしてミクロなフラクタルな素粒子の領域。いくら「+、-」ボタンをクリックしても僕らは始まらない。
抽選券を買うか買わないか。それしかない。
Just Do it!!!!
そうでなければ、ビックバンもビッククランチも何も始まらず、IDerの戯れもそういったちょっとした事で始まり、この世界は創られた。
ほんのちょっとした事で抽選券を買うという行動に貴方がもし至ったのであれば、少なくとも僕は貴方をリスペクトする。
僕は貴方達以上にフニャチン野郎だ。