☆子供の頃は正義感の塊であった
それは思慮の浅い稚拙な正義感なのだけれど、自身にとっては明確な正義が存在していた。
歳を重ねていくうちに、自身の正義の矛盾や、理不尽な事が平然とまかり通っている世の中について、何となく感知していく事となる。
そして幼い正義は、一旦死ぬ。
☆正しさと誠実さについて
学生はひたすらに「正解」を求められる。問題の解き方を学び、100点満点を求められる。学生でなくなると、それまで詰め込まれてきたアカデミックな知識を活用する機会が減っていく。
アカデミックに浸って生きていける人間はごく限られるためである。
ところで、生きていく上で必要になるのは「信用」である。コミュニケーションや金といったものは「信用」の別のカタチである。
「信用」を得る上では、「正しさ」よりも「誠実さ」の方が重要である。人間関係においては、「正しさ」は時にあやふやで、ほとんど拠り所には成り得ない。
他人のエゴイズムを汲んであげると他人は喜ぶが、そこに「正しさ」なんて存在しない。
☆そうした事を踏まえて
新たに自分の中に正義が宿る。
それは泥臭い正義かもしれないし、幼さの残る正義かもしれない。もしくはごくごく日常的な事かもしれない。いずれにしても、思考し揉まれて生み出された正義は、子供の頃のそれとは異なり、凄みを増しているはずだ。
☆蛇足
アカデミックでなくても生きていける事への弊害も存在する。それは、不勉強で自己の経験のみを担保に甘えて生きてしまいがちだという事だ。
学ぶ事を忘れた者の成長は止まり、自身に対して不誠実且つ傲慢となってしまう。モンスターペアレンツみたいなバケモノを想像すると分かり易いだろう。
※少々大げさな表現ではあるが
学ぶ事はいくつになっても大事だと思うのだ。