☆クレバーな側面
僕は他人の何がしを「羨ましい」と感じる事は不要であると思っている。
それはあくまで「他人の何がし」であり「己の何がし」では無いからだ。
☆しかしながら
「羨む事」は、何がしかを得たいとする動機になるとも考えられる。
無気力で何事も成就できなかった時間は二度と戻らず老いて死ぬ。
☆とはいえ
羨みも度を過ぎれば妬みとなり、最早モチベーションに成り得ず、ただただ悪影響を振りまくようになってしまう。
何事もやはりバランス感覚が肝要なのだろう。コーヒーも飲みすぎるとカフェイン中毒になってしまうのだー(棒)
僕はバランス感覚の無さを日々痛感している。