☆いつしか鈍感になって他人の感情を欲する
悲しみも嬉しさも凡庸で稚拙な自己の感覚に辟易としつも、「あぁ、またやってきたか」と思うのである。子供の頃から感覚は割りと変わっていなくて単純な事で一喜一憂して、その後は忘れてしまうのだ。
変われないでいる自己感覚の凡庸さの補完のために、他人の感情について興味があるんだ。
「君はどう思うのか?」
君に興味があるようでいて、実際の所は自己の多様性の限界に対する補完への甘えなのだ。
知っている。
しかし、許して欲しい。
そのかわり何か別のモノをアゲルよ。可能な範囲で。
僕のメンヘラを受け止められる奴でてこいや
出てこられても困るけれど(^ω^ チキン)
けれど、大して熟成されていないのにヘラを気取るやつはイタヅラしたくなる。そういった上から目線の思考をした途端に、僕も十分クソったれなのだなと思うのである。
どこもかしこもクソの掃き溜めかもしれないのだけれど、品性でその場を美しくみせようとする人間の文化的振る舞いは、慣例的物足りなさを感じつつも、色んな意味で抑止力であり、やはりとても尊いと感じたりもするのである。
☆最優先すべきは「面白い」である
自己の感覚でも、客観的感覚でもなんでも良いのだけれど、最優先すべきは「面白い」って事。
思考も結果も想定内も想定外もそんな事は越えている。
くだらない事で悩んでいるよりも「面白い」方が良いにきまってる。
あぁ、欲しいなぁ「面白い」事。