☆先日こんなTweetをしました
歌いたい言葉が無い
— でおきし(ハル) (@deokisi) March 23, 2016
作ってみたいシステムが無い
作ってみたいゲームが無い
楽しんでみたい事柄はあるけどアプローチがわからない
そりゃそうなんだろうなぁと思ふ
何もなく何年でも経過していける事を知っているから
自然発生的な必然性なんてない
不自然な所にこそ発生するのかもしれない
流れにまかせていれば揺らぎは生じない
— でおきし(ハル) (@deokisi) March 23, 2016
逆らった時に渦が発生し、不自然が発生する
渦の中にそれまで見なかった必然性が生まれるのかもしれない
「必然性」というワードが少々フワついて判り辛いのだけれど、何もしてなければ何も生じないし、「新たな必然性」も生じないという意味合いで綴っています。
☆惰性にエキサイティングなどない
…という当たり前の事を、表現を変えてTweetしているにすぎないのだけれど、世の中のあらゆるものが表現の微妙な違いで一喜一憂しているので、僕の事も見逃して欲しい。
しかし、この時Tweetした内容がイマイチしっくりこないので少し考えてみた結果、「応力」というキーワードを思いつきました。
僕らが何か新しい体験(UX)を得るには「応力」が必要です。「応力」とは何かしら(サムシング)に対してプレッシャーを加えた時に返って来るパワーです。サムシングと言いましたが、これは自分を指します。自分に対する抵抗を与えるのです。
情報や経験がある程度増えた人間にとって、唯一UXを得られる方法としては「応力」なのです。
ストレートな情報の享受に何も見出せなければ、自分をひん曲げで生じた応力に乗っかって新たな景色を見ようとするしかないのです。
具体的事例を上げていないので、説得力の無い内容ですけれど、ぼんやりとした確信があります。