☆形態の異なる投資は日常的に受け入れている
ギャンブル(賭博)はそもそもあまり良いイメージでないのが一般的である。
しかし、ギャンブルと同様に「賭け」という性質はそのままに、見返りが金以外のものについては、日常的に受け入れられている。
- [見返りが金以外のものたち]
- 学習教材、塾
- 知力向上
- 各種開発ツール
- 創造・製作
- スポーツジム
- 健康・ダイエット
ギャンブルと異なるのは、仮に良い見返りが無くとも、教材やツールは手元に残るし、スポーツジムでは運動の経験が享受できるため、無駄が無いように感じる。
しかし、一見無駄が無いという感覚が、当初思い描いていた見返りを忘れさせ、消費される投資額に対する感覚すらマヒさせていく可能性がある。
ポジティブなイメージの投資行動は、見返りに対するスコープがボヤける事で、ある意味ギャンブルよりもタチの悪い消費行動となってしまう可能性も潜んでいるのではないだろうか。
☆日々は選択と時間の経過
「投資」と言わずとも、生きていく中で、僕らは毎日のように「選択」を行っている。
- 進学先をどうするか?
- 就職先をどうするか?
- 何処に住むか?
- どのように仕事を進めるか?
- どのように学習を進めるか?
- 何を食べるか?飲むか?
- 何を読むか?
- 何を観るか?
- 何を生み出すか?
「選択」の後、リソース(金・時間・体力)を担保として、できればより良い結果や体験(見返り)となる行為を日々行っており、それぞれに「賭け」の要素が存在している。
☆賭けの無い世界
決まったリソースで、決まった見返りが確定しているならば、生きて行くにはある意味で楽なのかもしれない。けれど、それって相当にツマラナイ世界になってしまうのだろうと感じる。
想像力を必要としなくなってしまうから。
おそらく面白いコンテンツや商品というものが生まれにくい世界だろう。
それはツマラナイ。
☆さて今日も
資本主義の元、僕らは賭け事を行っている。
なお、賭けの対象によっては、年齢や体力制限などのレギュレーションもあるから、気づいた時にはエントリーできなくなっていたりもする。エントリー不能となった後に嘆いても、後悔先に立たずなのだ。
ではでは。
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