☆他人は自分と同じようなものだと思っていた
十代の頃、ヤンチャな人や真面目な人や危ない人とか、いろんなタイプの人間が周りにいたのだけれど、僕から見た彼らに対するイメージは他の人も同じように持っているんだろうと、疑う事もなく思っていた。
「あいつはヤンチャな奴やなー」
「あいつは真面目な奴やなー」
みたいにね。
タイプ分けする語彙が小学生なのですが、それぐらい他人に興味を持っていなかったからなのかもしれません。
皆さんはどうでしょうか?他人のモノの見方・考え方は自分と同じだと思っていたでしょうか?
物心ついた頃から他人それぞれのユニーク性に気づいていたりしましたか?
年齢や性別によらない感性による所ですよね。こういうの。
☆何故僕は、他人も同じと思い込んでいたのか?
おそらくは、教育と環境によるものです。
「これが正しい答えです。」
「こうすると答えにたどり着けます。」
「それは当たり前じゃありません。」
「おかしな事は辞めましょう。」
根拠の無い指導に、子供の僕らは従っていました。
物事の善し悪しをジャッジする事なく鵜呑みにして育っていく。
授業中に質問する子は理解の低い子と見られがちです。だから恥ずかしがって質問をしたがらなくなり、いつしか質問する事が悪だと感じるようになります。
世の中には理不尽な事や謎が多いのだから、疑問に持たないのは異常な事なのだと当時の僕は気づいていませんでした。
同調はできないけれど、クラスに数人は居たヤンチャな子達は正常な反応のひとつだと思います。
従うと褒められます。
逆らうと叱られます。
周りの大抵の子達も同じように従っていました。
受け答えが似たようになっていきます。
…同じように考えているように感じていきます。
僕は影響され易いタイプだったのでしょうね。
地域のローカルTV局の番組で、小学生を横並びにしてインタビューをしていたりするのですが、数十年前と喋り方が同じなんですよね。今の小学生のほとんどが。なんだかな。
まぁそれは良いとして、インタビュアーが仕事で数十人いる子供達一人一人にインタビューしているのですが、受けている子供達はそんな事を気遣うような子はいませんね。
願わくば誰か一人でも良いから、最後に「ありがとうございます」とか言ってくれたら良いのになぁと感じます。「アザース!!!」でも良いから。
まぁ僕も同じような受け答えしかできなかったでしょう。
それに、母親以外の大人の女性は全て「おばさん」と呼んでいたので、サンリオショップ店員の「お姉さん」にマヂ切れされたけれどキョトンとしていたのを覚えています。
悪気はなかった。
初等教育はもちろん大事だと思う。けれど同じぐらい大事な事もある。
僕は人よりも気づくのが相当に遅いので、ゆったりとそんな事を感じています。
☆何故そんな話を今更なのか?
少し前から、Webブラウザ上で動作する簡単なゲーム(クソゲー)を作ったりしていたのですけれど、ネット越しの人の反応や、実際に目の前でプレイしてもらった人の感想やプレイスタイルがかなりユニークって事に気づいたからです。
子供の頃にTVゲームを友達とプレイしていたから、それぞれに感想が違ったりするのはわかってるつもりでいたのですが、プレイヤー同士は雑談で終わるだけですよね。
自分で作ったモノに対する他人の反応を見る時に、初めて他人を個としてフォーカスするんです。
そっけない人の持ち物とか褒めると嬉しそうに喋りだす感じです。誰だって自分の事は気になります。
クリエイターっぽい人達って、割と「人が好き!」って言うケースが多い気がするんですけれど、その原因ってこういう所にあるのかもしれないなぁと。
☆蛇足
少しづつ他人に興味を持っていったら、いつしか愛を感じる事ができるのかな
ではでは。