†でおきしブログ†

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文章を書く事

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kindleで本を出せる手前まで準備をしてみたのだけれど、kindleの目次メニューから正常に目次を参照できるようにするにはEPUB内部のTOCファイル+guideタグを設定してあげないといけないらしい事に気づき、なんだかそこで萎えて止まったままのヘタレなdeokisiです。
こんばんわ。

いざ個人出版できる手前までくるとね、少しビビルわけですよ。
そろそろ1年弱このブログを続けて日々アクセスログを眺めてる僕は自分の文章がどの程度受け入れられているかわかっているので、ちょっと怖いわけです。
なんか怒られるんじゃないかって。

むか~し、ニコ動に適当に作ったボカロ動画をあげたら数件しかコメントがなくて、全部お怒り(お叱り?)のコメントでした。
んで、そうか適当なもん出すと怒られるのかぁと思って、凄い真面目に取り組んで作ったら、まったく人気が無かったもののほぼ全部のコメントに草が生えまくっていて、真面目につくったけれど結構ウケタという思い出があります。
どうも僕は真面目につくるとウケルようで、僕の理想系はどうやら大抵の人からはコメディに見えるものなんだなぁとちょっと勉強になりました。

なのでもう少しブラッシュアップしてから出すべきだなぁと、ヒヨリ気味且つサボリ状態になってます。
いかんですね…。
そのうち出します。kindle本。

モゴモゴしていると、そのストレスからの湧き出た欲望なのか、小説家とかライターとか脚本家とか編集とか装丁とか著作権とか本に関わるあらゆる事が少し気になりはじめました。
多分、受験勉強の時に突然掃除をし始める現象に近い感覚ですね。若干の現実逃避です。
まぁ、この場合は現実逃避というか、自分自身があまりにも書籍について知識がなさすぎてビビッて今更調べはじめるという、割と小心者にありがちな行為なのかもしれません。


そんなわけで連日のように図書館に通い、"文章を書く事"を生業にされている方々が書いた"文章を書く事"を題材にした随筆の書籍を読み漁りました。
僕は書く事も話す事も不勉強なので、彼らの書籍に記述された句読点や言い回しや語彙のユニーク性にただただ関心しつつ、またある時は素直にお話の中にのめり込んで読んでおりました。
読みすぎて悪い事は無いのでしょうけれど、文章を書きたいなぁと思っている僕でしたので、ある程度沢山読んだなぁと思ったら自分自身の文章に対する随筆がかけるくらいに、とにかく試行錯誤しながら文章を書き続ける方が健全なのだろうし批評家になっちゃぁイカンだろう!と、いつもの事のようにぼんやりと静かな図書館の中で呆けておりました。


呆けついでにもう少し僕の戯言を続けさせてもらうと、いずれにしても文章に魅了される人が沢山いるからこそプロの作家や出版社が存在しているわけであるので、文章にはとてつもない力を感じる所なのですけれど、それは"何故"なんでしょうね?
少なくとも、小学一年生の国語の授業のときに文章の力を感じとってはいませんでしたね。僕は。
もしかしたら隣の席の子は6歳にして文章の可能性を感じて打ち震えていた可能性もありますが、まぁ大半は形式的な情報の伝達媒体としか認識しなかったと思うんですよね。

とてつもない力の正体はよくわからないんですけれど、文章のみで笑ったりドキドキしたりできてるのでやっぱり文章には力があるんでしょうね。(深堀はやめておきましょう)
そもそも、文章にハマったのっていつ頃でしょうか?ちなみに僕は学生の頃に昼休みを図書館で過ごすという優雅な事が果たしてできるのだろうか?という一人ゲーム(ボッチ)を開始した時に、たまたま新刊コーナーでなんだか仰々しい表紙の本を見つけて読み始めたのがキッカケでしたね。
その本のタイトルには"リング"と書いておりました。

めちゃくちゃ怖くなりました。読んでて。

当時、本なんてまともに読もうとしていなかった漫画少年だった僕が、続きが気になって放課後も図書館に行き、また翌日の昼休みも行って読んで満足したら、隣に"リング"の続編である"らせん"があってまた図書館に通うようになりました。
図書館は良いものだなぁと思ったのはソレがキッカケだったのかもしれません。
いずれにしても漫画少年であった僕は、"リング"の恐ろしさを文章から感じ取り興奮していたのです。

それはとてもとても凄い事だと思いますね。
作家も凄いし、学校教育により知らぬ間に文章の力に魅せられる受容体(?)を作り出されていたというのが。


ではでは。



※当時の装丁版の本はAmazonにはなさそうですねぇ