†でおきしブログ†

ウナギ食べたいヽ(•̀ω•́ )ゝ✧

総クリエイター社会

世の中ってクリエイターしか生き残れないんじゃないかと。
歳をとるごとに明確に感じてきた戯言なんですけれどね。

ここでのクリエイターってのは、別に絵とか音楽とかってジャンルだけじゃなくて、あらゆる創作活動をさします。

例えば、遠出するのに車か飛行機か電車かってゆう交通手段や時間とかを調べて選択するのも僕は創作活動と言っても良いと思うんですよね。
割と他の人とは違う思考でルートを決めている可能性だってあるわけで。

本人が単純に遠出する手段を探しているだけと思っているからクリエイトしてる意識がないだけで。
何かを作り出す事にアンテナの感度が強い人であれば、「これはもしかして面白いんじゃないだろうか?」ってゆう気づきが別の面白いものを作り出すトリガになり、またどんどん連鎖的に膨れ上がっていきます。

同じものを見てもベクトルは違う、クリエイトしたくて仕方ない人々。
それが「個性」だと思うんですよね。

個性的じゃなくたって、何かのお手伝いをこなせばお給料を安定して頂ける世界。
生存権を謳う国において、何かしら受け口は用意する必要があります。

しかしながら、それはクリエイトされて面白いものがあってこそ成り立つもの。
クリエイトされたものが巨額の富を生むのあれば、サポーターもまた沢山必要とされるわけです。

…単純な話ですが、クリエイターが富を生むアイディアを吐き出せなくなったとしたら?
サポーターはお払い箱です。
また別のクリエイターの所でお手伝いをさせて頂こうと思うでしょう。
けれど、どこのクリエイターも泣かず飛ばずでつまんない暗い世の中だった場合には、サポーターをやるより自分でクリエイトした方が効率が良いと思いはじめたりするんじゃないでしょうか?


そう考えると総クリエイター社会である事がクリアに見えてきます。

空手着を着て帰宅してたり、英語弁論大会に登壇したり、絵がとても上手だったり、ライブに行くための服を自作したり、そんな子供たちに物凄く将来の可能性を感じてきます。


僕はまだ何者にもなれていない