†でおきしブログ†

ウナギ食べたいヽ(•̀ω•́ )ゝ✧

脳内裁判所

こんばんわ。deokisiです。


子供の頃、裁判官なんてハンマーを「カンカン」叩いて、なんか黒っぽい服装のおじさんが、
裁判所といわれる見たこともない建物の中にいるもんだと思ってて、
とても遠くの存在に感じていました。


あれから随分経ったけれど、ジャッジメントって概念的にはとても近い存在なんだなぁと感じます。



まぁ、何かっていうと、常にセルフジャッジしてるでしょ?人間って。
自身の経験から物事の良し悪しを判断して動いてる。
(至極当たり前の事なんだけどね)

つまりは、遠くの存在じゃなくて自分自身もある意味ジャッジメントなんだなぁと



そして、自分の中のジャッジの結末は、自分以外にジャッジされる。


裁判所で被害者か加害者の立場で立つ事よりも、
身近な他人やコミュニティにジャッジされる事の方が一般的だ。


ある意味で、我々の生活は常に地裁と最高裁のジャッジが繰り広げられているようなものだなぁと。



?「・・・だから何だよ?(^ω^#)」




つまりは、司法の場じゃないジャッジメント(自分自身)に価値があるかっていうと、
おおいにあると思うって事。
あまりにも身近すぎてなんも気にしないけれど、
なんとなくでジャッジした事で、しっぺ返しを食らう事は多々あったりするわけで。

考えを改める上で、ジャッジとは別に理性的な弁護士に控訴してもらう必要があるかなぁと。




ジャッジって言い過ぎてゲシュタルト崩壊しそうなクソ文章でしたね^^;
さぁて、飯食おう^q^



※蛇足※
定食屋においてたウシジマ君(漫画)を読んでみて、闇金に手を出すのは別に金に困ってる人だけじゃないんだよなぁ、なんだろなーって考えると結局は個々人の判断がそうさせてるよねぇ、怖いねぇ・・・って思って、こんなエントリーを書いてみました。